河村ゆう子
本当の事を言うと、私の若い頃の夢は、5人の子供をもうけ、大きな犬を飼い、自宅で翻訳業を営む主婦になることだった。

そう、高校時代の学年文集に書いたし、今でもその事を思い出す。

大学時代には『楢山節考』を翻訳し、日本の民間伝承の話なんかを翻訳して海外に発信出来たらなとか夢みていた。今でもその事を日によっては『リタイヤしたら』と妄想する。

なので、今の人生、会社における仕事も、本来、私の夢ではない。今、幸せかと聞かれれば、正直、この歳になってもわかりません。けれど、恐らく、私は自由であり、色々な事を感じ、考えることが出来る人生を歩んでいる。けれど、若い頃の自分と、今の自分とでは、年数と経験を経て変わったと思うこともあるので、どの時点の私が果たしてREAL MEなのかも、わからないかも知れない。

よくある話で、私の人生に変化が訪れたのは恐縮ですが、離婚がきっかけだった。

当時、私は32歳だったかな。

娘たちは、上が4歳、下が2歳。

私は自宅で独身時代務めていたレコード会社の先輩を頼って、若干の音楽関係の翻訳仕事をするようになっており、当時流行り始めたSnoop Dog, Dr. Dreなどのギャングスタ・ラップの歌詞が聞き取れる、翻訳出来るということで、ニッチだが、重宝されていた。来日アーティストの通訳の依頼も受け、当時まだ海外赴任から帰国したての夫の会社の社員寮に住んでいた子持ち主婦は、ぼちぼちアーティスト取材なんかにも出かけるようになっていた。徐々に独身時代の感覚が戻って来て、なんだか主人の社宅に住んでいる生活に少しづづ違和感を感じ始めた。『誰々の奥さん』『誰々のママ』というラベルではなく、私自身が好きなこと、嫌いなことって、なんだっけ?なんで、仕事をしていることをいちいち言い訳しなくてはならないの?翻訳の仕事をすることが夢だったのに。お料理をする時に、好きな音楽をかけ、歌った。”If you don’t know me by now”というHarold Melvin & the Blue Notesの曲。胸がはりさけそうになった。自分が幸せを感じられないことを夫に打ち明けた。神社におはらいに行くように夫と彼の実家に勧められた。

離婚は調停離婚の形をとることになり、家庭裁判所に赴いた。養育費についての話になったときに、家庭裁判所の用意した2名の調停員のうちの男性の方が言い放った2つのコメントが今でも忘れられない。

『お子さん二人に4年生大学の教育を受けさせる前提でお話になさっていますが、女の子なので、必要がないでしょう』

『奥さんにはおわかりにはなれないかもしれませんが、男性は職場では色々なお金が必要なんです。スーツも買わなくてはならないし、仕事を円滑にとりおこなうために飲みにも行くのも大切で、色々経費がかかるんです』

もう一方の女性の調停員は、申し訳ない表情を浮かべながら無言でした。あの男性の調停員に今会って、仕事における『必要経費』について改めてディスカッションさせてもらいたいものだ。

この話を他人に打ち明けたのは、離婚後復職した最初の職場のプロモーターの仕事の出張中、相手はジャズピアニストのマッコイ・タイナーだった。日本海側の方のジャズフェスへの出演にお供して、長い長い待ち時間を控え室で過ごした折に。マッコイは言ってくれた。”I’m a black man so I’ve been told a lot of this an’ that too.” 一流のタキシードがずらっとかけられ、ピカピカの靴が用意されていて、本番になると、彼は夜の屋外ステージで圧巻のライブで観客をうならせた。新幹線の駅弁はうなぎ弁当と決めているマッコイだった。私なんかの愚痴を聞いてくれた偉大なピアニストにリスペクトの気持ちで一杯になった。当時の私の年収は250万。実家に子供達とやっかいになっており、椅子をひとつ動かしただけで、父に『主権の侵害だ』と怒られた。はやく、出たいと思った。

その後、新卒で入社した広告代理店の先輩を頼りに転職した。プロモーターの仕事をしていると言ったつもりが、後々考えてみると、面接官のアメリカ人の役員が”promotions”と誤解してくれて、広告関連の経験があると勘違いしてくれたおかげで受かったのだと思う。右も左もわからなく、まあ、同僚には迷惑な存在だったと思う。これまた運良くすばらしい人格者の先輩に恵まれ、すっかり結婚生活で忘れさられた広告代理店営業のいろはをもう一度教えて頂き、少し給料が上がった。嬉しくて土曜日に自転車でふらりと最寄りの不動産屋に入り、中古マンションを探してもらい、翌日購入を決めた。ローンが始まると現金があっと言う間にショートし、週末財布に700円しかなかった。スーパーに子供達を二人連れて行き、子供たちが好きな牛乳を買い、残りの小銭でキャベツを買い、卵を買い、家にあった小麦粉で肉のないお好み焼きを作った。電気代やカードの滞納は、当たり前だったけれど、自分の城を確保出来ていることに喜びを感じ、車も買って、旅行にも行けるようになった。気がついてみると、会社でディレクターになれと、全く希望していなかったが、昇進し、転職しながら、子供達の進学資金をためた。別れた夫からは、早い段階で、養育費は払われなくなった。日本の民法では、家庭裁判所での決めごとは強制力がないそうだ。

今では、ブランド戦略とか、キャンペーンとか、コミュニケーションの仕事の営業職ということで、外資系のブランドを数多く担当した履歴になっている。海外にも出張に行くし、いろんな国の人にも会えた。職場の人たちは、とても良くしてくれるし、家もあれば、犬もいる。どこに行っても、ありのままの自分でいるのが私のスタイルとして定着した。ここ数年、SNSのお陰ですっかり疎遠になっていた高校や大学時代の友達にも再会。『ゆう子、苦労したんだね、がんばったんだね』と言われ、『まあね!』と返している。細かい話ししても仕方がないし、みんなそれぞれ苦労してるから、自慢話にもならないからね!

もちろん、母子家庭というやつをやって来て、辛いこともありましたとも。今でもあるし。自宅で翻訳業、では2人の子供の学費には足りないから、子供たちには随分寂しい思いもさせたかも知れないけれど、営業やってますしね。だからこのコラムを読んでくださっている方々には大変申し訳ない話だけれど、夢の職業でもないし、人生でもない。雑誌に出てくるようなハッピーライフではないかもしれないけれど、世の中にはいろんな考え方の人がいて、文化があって、異なる価値観があることを、身をもって体験出来る人生で良かったなと思う。そんな体験を通して、外部や対人との浸透圧の作用によって、自分自身が変わってきたと思う。何が本当の私らしさか、夢なのか。変わらないこともあれば、変化して行ってもいいじゃない?良くも悪くも、嘘のない人生は気持ちが良い。That is the Real Me!

  • Saki

    たくさん苦労してきた人生の中で、「嘘のない人生は気持ち良い」という一言、とてもポジティブにさせてくれます!夢を持たないと!探さないと!と、今目の前にある事に集中していないことに気づかされました!ありがとうございます☆