kirieasako 001
今日は、リアルミーは桐衣 朝子さんを心から歓迎します。
薔薇とビスケットの筆者としてますます賞賛を浴びている彼女。
そんな彼女の辿った数奇な人生、家族との関わり、彼女が直面した困難・試練、そして自己実現・更には著者となるに至った経緯を伺いました。

あなたにとっての本当の私、リアルミーはどんな人ですか?

桐衣朝子 62歳 職業 作家
趣味:もともと読書や、物語を書くことが趣味でしたが、仕事になってしまったので、今はドラマや映画をDVDで見ることくらいです。性格:物事を深く考え、思い詰める性格。

桐衣さんは『薔薇とビスケット』の著者として有名ですが、小説について、そしてこのストーリーを執筆することになったきっかけをお話くださいますか。

主人公の竜崎徹は特別養護老人ホームに勤める二十五歳の介護士。仕事に対して情熱もなく、宝くじが当たったら、仕事を辞めようと思って  いる。ある日、第二次世界大戦前の昭和十三年にタイムスリップし、そこで出逢った美しい芸者千菊に恋をする。芸者屋の主人の介護をしながら、様々な人との出逢いと別れを経験し、成長していく徹。しかしある日、まわりにいる人の中に、老人ホームで介護をしていた老人がいることに気付く。
この物語は、介護士の資格を持つ娘と、娘の親友二人から聞いた様々な話が基になっています。そして、物語に出てくる人物の多くには、モデルがいます。物語を書くきっかけになったのは、自らの病と、あの東北の大地震です。三年前に患った乳がんと、手術後に起こった地震。ショックと哀しみの中で、私は日々苦悩していました。
「この世に生きてきた証を残したい」「地震で愛する人を失った多くの人達や、病で苦しむ人達のために、何か私にできることはないだろうか」
一生懸命考えました。私にできることは、書くことしかありませんでした。私の心の中に生き続けていた人達——-娘や娘の親友が話してくれた高齢者達が、目の前に現れて物語を書かせてくれたのです。

ご自身の本が出版され、称賛されていることについてどう思われますか?

この物語が世に出たことをとても嬉しく思っています。でも、私一人の作品ではなく、娘と娘の親友達、モデルになった高齢者の方々がいたから、この物語ができました。物語を読んだ方達からの「優しい気持ちになった」とか「介護職を辞めようと思っていたが、もう少し続けようと思う」というコメントを聞くと、本当に嬉しいです。

本を出版するまでの経緯についてお話いただけますか?

2012年に「第十三回 小学館文庫小説賞」という文学賞を受賞して、十三年5月に出版されました。

桐衣さんの過去数年間のがんとの闘いは想像を絶するような内面の強さを要されたと思います。この経験はあなた自身そしてあなたの世界観にどのような影響を与えましたか。

がんを告知された時、世界は一瞬にして変わってしまいました。恐怖と孤独が支配する灰色の世界に突然放り込まれたのです。しばらくは、悪夢を見ているようでした。「すべての苦しみには意味がある、魂を高めるためにこの試練を与えられたのだ」と、ひたすら自分に言い聞かせました。恐怖と孤独が消えたわけではありませんが、私は少しずつ平安を取り戻し、手術前には、「病は、神のギフト」だと、信じることができるようになりました。もし病を「不幸なできごと」としか考えられなかったとしたら、そこには本当の希望も魂の成長もありません。この病は、私を強くし、成長させてくれました。私が作家になれたのは、この病のおかげでもあるのです。

(学校を卒業して)長期間たったあと大学に入学され、その後本を執筆するにあたり主に大変だったことや障害になったことはなんですか。(桐衣さんは)それらをどのように克服されましたか?

大学入学は四十六歳でしたから、若い時に比べると体力も記憶力も落ちていました。でも、それを障害とは思いませんでした。体力と記憶力   が十八歳の学生の半分しかないなら、二倍勉強すればいいと思っていました。実際、何倍もの努力をしたおかげで、学年でトップの成績を取ることができました。
小説を書くことにおいても同じで、若い人に劣る部分があっても、この年齢だからこそ書けることもあると信じて、年齢を武器にして書きました。

これまでの人生で印象に残っていることは何でしょうか?

父の死、娘の誕生、マザーテレサとの出逢いなどは、印象深い出来事でした。
私は、人生で二度大病をしています。二十四歳の時、難病指定されている全身性疾患で一年入院しました。死の足音が聞こえた時、「私はこの世に生まれてきて、いったい何をしたのだろう」と絶望しました。その時、自分のためにだけ生きる人生は、虚しい。誰かを幸せすることが、人生の虚しさから救ってくれるのだと、思いました。そして、私の身代わりになるかのように父がなくなり、私は完治したのです。
上の娘がお腹にいる時、福岡にいらしたマザーテレサにお会いして握手をしていただきました。温かい手でした。私の人生に、最も強い影響を与えたできごとは、母親になったことです。人生が一変しました。子育てによって、母親も人間として育てられるのです。

kirieasako 003
大人になって、特に大学に入りその後小説を書こうと思われた際、リスクをおかしているような、もしくはご自身の人生の何かを犠牲にしているような気分になられましたか?もしそうであったのなら、そのような気持ちをどう対処されましたか?

大学入学も、小説の執筆も、賭けであったと思います。そんなことをする時間やエネルギーを、もっと家事とか、有益なこと、例えば、クッキーを焼くとか、アルバイトをするとか、そういうことに使うべきではないかと、思い悩んだこともあります。でも、「今、自分がすべきことはなんだろう」と考え、その答えを選択しました。

何か新しいことを始めるときというのは、初期段階にその取り組みへのビジョンや信念に 同意しない人たちから不審に思われたり、反対にあうことも多いと思います。桐衣さんの場合も同様でしたか?ネガティブな状況になってきたり、自分の取り組 みに違和感を覚え始めたとき、どうやってモチベーションとセルフコンフィデンスを維持されますか?

私の大学進学に関して、表面的には応援しても、心の中では快く思わない人はいたと思います。それは、新しいことを始める人、人と違ったことをする人に対して、よくあることです。嫉妬や無理解、違う種類の人間に対する反発のようなものがあるのかもしれません。私が特待生になり、奨学金をいただいた時にも、ある先生は 「若い人なら、将来大学のプラスになるだろうが、中年のおばさんに奨学金をあげても、無駄だ」 というようなことを、はっきりとおっしゃいました。中年の主婦が大学で学ぶことが、ただの無駄遣いだと思う人も多いと思います。でも、まわりの人の反応や批判を気にし過ぎていては、何もできません。すべての人に理解されなくてもいいのです。自分に何度も問いかけて、結論を出したことは、貫くべきだと思います。でも、ひとつだけ、誰かを苦しめたり、犠牲にしたりはしないというとこだけは守ってきました。ですから、大学入学も、下の娘が中学に入るまで待ちました。

文章力や自分がやっていることへの情熱と比べ、セルフビリーフ(自分を信じること)とセルフコンフィデンス(自分に自信を持つこと)はどれくらい重要だと思いますか。

自分を信じること、自信を持つことはとても重要です。でも、努力もせずに信じたり、自信を持つのはむしろ危険だと思います。
精一杯の努力と、強い意思、困難に立ち向かう勇気がなければ Self-belief (自分を信じること) and Self-confidence(自分に自信を持つこと)は、綺麗に包装された空っぽの箱のようなものです。そこからは何も出てきません。私は、度々自信を失います。自分には才能がないんじゃないかと思って、しょんぼりすることがよくあります。そういう時には、声に出しています。
「大丈夫!私にはできる!」って。そして、今できる精一杯の努力をします。

ご結婚されて成人の娘さんがお二人いると存じますが、そのことについてどう思いますか。家庭生活は充実していますか?将来結婚や子どもを持つことを考えている読者にアドバイスはありますか。

私にとって二人の娘は、創造の泉であり、暗い海を照らす灯台です。そういう意味で、家庭生活は充実してると言えます。けれど妻としては、幸せではありませんでした。夫は、極めて支配的な性格で、夫婦間は全く平等ではありません。そして本人は自由人ですから、無断外泊なども日常的でしたし、子育てにはほとんど関わりませんでした。でも、私は結婚を後悔したことはありません。二人の娘に出逢えただけでも、結婚してよかったと思っていますし、私自身が結婚によって成長もできたからです。結婚や子供を持つことを考えている女性に、誰にでもプラスになるような一般的なアドバイスはできませんが、一つだけ言えるのは、結婚も子育ても、そのことによってしか手に入れることができない幸せや成長があると いうことです。
私は娘に常々こう言っています。
「結婚を考える相手に出逢ったら、その人が恋人でなくても、友人として、人間として好きになれるか、尊敬できるかを見て欲しい」と。

家庭生活と大学、小説執筆をうまく両立されていますが、プライベート/家庭生活と仕事のどちらかを選ばないといけないと懸念している若い女性たちに何かアドバイスをいただけますか?

難しい問題ですね。仕事と家庭生活との両立は、努力だけではどうしようもないことがあります。仕事を持つ女性が、仕事と家庭の間で葛藤し、疲れ果ててしまわないように、まわりができるだけ協力すべきだと思います。特にパ-トナーである男性にお願いしたいです。家庭生活の維持は、女性だけの責任ではありません。仕事と家庭の両立に関して、最も難しいのが、子供の問題だと思います。子供と過ごす時間が少なくなるというのが、働く女性にとって一番心配なことではないでしょうか。でも私は、子供と過ごす時間の長さより、その質の方が大事だと思っています。
「自分は母親に愛されている」と、子供が何の疑いもなく思えるように、そして、子供と一緒に自分自身も成長していけるように、あなたが努力を惜しまなければ、ともに過ごす時間が少なくても、料理や掃除を手抜きしても、大丈夫!

日本は男女が平等でないと思いますか。男女不平等について、また日本で男女がこの問題にどのように取り組んでいけるかについて桐衣さんのご意見をいただけますか?

日本は男女不平等だと感じています。私が若い頃はもっと不平等でした。私の子供時代を思い出しますと、母は、完全に私と弟を差別して育てました。弟に対しては教育熱心で、私には「女には学問はいらない。さっさと嫁にいけ」と言い、大学に行かせてもらえませんでした。
男女平等社会を実現する最も効果的な方法は、時間はかかると思いますが、家庭教育だと、私は思っています。これから子供を産む方々には、しっかりと男女は平等だと教えてほしいですね。

仕事を始めたばかり、もしくはこれから仕事を始める若い女性に何かアドバイスはありますか?

同じ仕事であっても、その人の取り組み方で、まったく違ったものになると思います。例えば、レストランでも、接客係が笑顔でお料理を運んでくれると、お料理がいっそう美味しく感じられます。逆に接客係の態度が悪ければせっかくの食事もだいなしです。どのように仕事に取り組むかが重要だと思います。いやいや仕事をしていれば、本人が一番不幸ですよね。

リアルミーでは、いつも次の引用でインタビューを終わります。「なりたかった自分になるのに遅すぎることはない」この言葉についてどう思われますか?

なりたかった自分になるには、遅すぎることなんて、もちろん絶対にありません!私は四十代で大学に入り、五十代で大学院に入り、六十代で作家になりました。そしてできれば七十代で大学に戻って、八十代で博士論文に挑戦しようと本気で思っています。マラソンや砲丸投げでオリンピックに出るのは無理だと思いますが、多くのことにおいて、年齢は障害になりません。むしろプラスに働きます。最も大きな障害は「年齢が障害になる」と思うこと、年齢を言い訳にして、一歩を踏み出さないことです。

ほかにコメントや補足されたい読者を勇気づけるような言葉があればお願いします。

戦場から帰ってきた兵士達は、三つに分類されることが研究によりわかっています。「正常な状態で戻ってくる」、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えて帰ってくる」そして「心的障害後の成長を遂げる」の三つです。
自分の身にふりかかる様々なできごとは、それ自体では、幸せでも不幸でもなくニュートラルな状態なのだと思います。起こったことをどう受け止め、行動するかで、幸、不幸は決まると思います。
六十二年の人生を振り返ると、いろいろなことがありました。結婚直前に、婚約者が他の人を好きになって破談になったこと、二度の大病等・・・辛い思い出がたくさんあります。挫折だらけの人生でした。
でも、過去を振り返ると、不幸な出来事だと思っていたことのすべてが、私にとってプラスに働きました。
人生には、苦しいこと哀しいことがたくさん降ってきます。生 きているのが耐えられないほど辛い日もあるでしょう。
でも、生き抜きましょう。生きていきましょう!
このサイトを見てくれた方達の人生に幸 せが降り注ぎますように!

kirieasako 002

  • 川村悦子

    とっても素敵な話だね~☆

  • Eri

    このお話を読むと、自分も頑張ろうって思える!

  • atsu

    素敵な女性!憧れる!

  • maki

    自分の身にふりかかる様々な出来事はそれ自体、幸、不幸でもなくニュートラルな状態…    「なんで私だけ!」「不幸だ!」といって嘆くだけの人生か、それとも受け止めて、どう行動をおこすか、何を選択するかすべて自分次第だと…
    すべては自分が決めることなんですね。そう思うと、今後、自分の考え方が変わりそうです!

  • Pingback: キリエ - パート 2 – リアルミー()