junko watanabe
リアルミーは、プレミアムワイン株式会社で代表取締役社長を務める渡辺順子さんにお話を伺いました。ワインビジネスを始めるに至った熱意、大好きなニューヨーク、学生時代の辛い経験、そして若い女性に向けた応援メッセージについてお聞きしました。

あなたにとっての本当の私、リアルミーはどんな人ですか?

渡辺順子です。ワイン業界で働いています。世界を探検することに興味を持っていたので、1988年に初めてニューヨークに渡りました。とても厳しい家庭で育ち、自由があまりありませんでした。もちろん、両親のことは大好きでしたが、とても厳しかったのです。高校生の時でさえ、門限が6時でした。ニューヨークに渡ったのは20代半ば頃でした。当初は半年で日本に戻ってくるはずだったのですが、ニューヨークでは全てが自分にとって新しくて、とても自由で、結局、予定よりかなり長く滞在することになりました。ニューヨークではみんな本当に人生を楽しんでいるようでした。ご存知の通り、80年代の日本はバブル期でした。みんな極度に物質主義—お金や高級品を所有したり—でした。わたしはそんな状況から逃げ出したかったのです。

ニューヨークに渡られたことについて聞かせて下さい。

偶然のようなものでした。友達が誰かから「ニューヨークに移りたい人いる?」と聞かれたので、その友達が私に聞いてきたのです。なぜなら、私は以前に彼女に、ニューヨークに行きたいと話していたからです。ニューヨークの日本食レストランでウエイトレスを募集しているということを彼女が教えてくれて、興味を持ちました。もちろん、「是非!」と返事をしました。そうして、私はそのレストランで働くためにニューヨークに行きました。幸いにも、従業員の寮があったので、行く事が出来ました。寮があったおかげで、両親を説得することもできました。というのも、80年代のニューヨークはまだ比較的危険な場所で、当時はそこに友達もおらず、独りだったからです。

そうして、88年にニューヨークに移り、そのレストランで働きながら半年過ごしました。そして日本に帰国し、ニューヨークに戻るための資金を貯めるために働きました。数年ほどかかりました。その後、十分なお金が用意できました(といってもニューヨーク大学で英語の授業を取りたかったので、本当に十分ではありませんでしたが)。大学の授業料はとても高かったですが、ニューヨークに戻るお金は十分にありました。以前働いていた日本食レストランが、戻ってきてまた働かないかと言ってくれたので、92年にニューヨークに戻って働き始めました。しかし、当時母親の体調があまり良くなかったので、何度もニューヨークと日本を行き来しました。そして95年にニューヨークにある日本企業に就職して、しばらくしてから辞めて、現地で自分の会社を立ち上げました。

どんな会社を設立したのですか?

輸出会社のようなものです。当時、ナイキがとてもあつく、かなり人気がありました。なので、自分でナイキのスニーカーを何足か買いました。特に、ナイキのマイケルジョーダンモデルのスニーカーが好きで、シカゴまで彼の試合を見に行きました。そこで、ある人の紹介で、ナイキのスニーカーを大量に供給している方に会いました。その時、それらを日本に輸出したら良いビジネスになるのではないかと思い、自分の会社を設立することにしたのです。

そこからどのようにしてワインビジネスを始めるに至ったのですか?

ワインが好きでアメリカでソムリエの資格を取ったのですが、ワインの本場で勉強するために99年にフランスに渡りました。ワインの歴史などにとても興味があり、もっと知りたいと思うようになりました。私は学ぶことが大好きなんです。フランスにいる時に、「どんなワインビジネスを始めたら良いだろうか?」と考えました。パリを歩いている時に、Christies’ Parisのオフィスの脇を通ったのです。その時に「これだ、これが私の求めていたものだ!」と気付いたのです。ニューヨークに戻り、Christiesにアプローチすることに決めました。履歴書を何度も郵送したり、FAXしたりしました。しょっちゅう電話をかけたり、何度もオフィスを尋ねたりまでしました。しかし、いつも相手にしてもらえませんでした。ある人が、そこの職に就くには、良いコネクションがなければならない、でなければ、私にチャンスはない、と言いました。なので、私は知っている人みんなに、会う人みんなに—行った先のレストランのウエイトレスにまで—「Christiesに私のことを紹介してくれる人を知りませんか?」と尋ねました。そしてついに、Christiesのワイン部門を設立したマイケル・ブロードベント氏を紹介してもらいました。ブロードベント氏がニューヨークのオフィスに私を推薦紹介してくれたのです。そして、そこでインターンシップをすることが出来ました。私は諦めることが嫌いなんです。他の人がどう思っているかは気にしません。ただ、自分の夢を叶えられるようになりたいんです。不可能なことはないと思います。夢を持ち続けて、努力をすれば、全ては可能だと思います。

どのようにして、Christiesでジュニアワインスペシャリストにまで昇進したのですか?

インターンシップとして、わたしがそこで働き始めた時、ものすごく一生懸命働きました。働くことができてとても幸せだったからです!そこにいられることが本当に楽しかったです。私の上司が「順子、働き過ぎだよ!そこまで頑張る必要はないんだよ!」と言っても、私は、「私にとっては仕事と言うより、楽しんでるんです。この仕事をすることが出来て本当に幸せなんです!」と言いますね。そのうち、私は根っからの働き者ということに上司が気付いてくれました。そしたら、突然、当時のジュニアワインスペシャリストの方が会社を辞めて、彼女の役職が空いたのです。もちろん、その役職にはたくさんの応募がありました。ですが、上司たちが私を推薦してくれたのです。その時には上司たちも私のことを既に知っていましたし、私の仕事に対する熱意も見てくれていましたから。

Premium Wine Co., Ltd.とそこでのお仕事についてもう少し教えて頂けますか?

我々の主な業務は、日本でのワインオークションです。真のワイン文化を日本に紹介することも目標としています。個人のワイン収集家の方々に、どのようなワインを選ぶべきか相談に乗ったり、ワインの品揃えのお手伝いをしたり、ワイン投資やその価格変動についての講習を行ったり、ワインについての有益な情報を提供したりしています。実は、日本におけるワイン事業は、韓国、シンガポール、香港などのアジアの国々に遅れをとっています。彼らのワイン市場は成長した市場ですが、日本はあまりそうではありません。なぜなら、日本人はワインについての必要な情報の入手方法がないからです。なので、ワインに関するニュースを伝えたり、適正価格で良いワインを買うお手伝いをしたり—もちろん日本価格ではありませんよ(笑)—ワインオークションの企画をしたりすることが私の仕事の大部分を占めます。私の仕事は日本と世界中の国々を相手にしていますが、私のオフィスはニューヨークにあります。

ワインオークションを開催する順子さん
ワインオークションを開催する順子さん


ニューヨークで暮らし、仕事を続ける原動力は何ですか?また、ニューヨークでの生活で一番楽しんでいることは何ですか?

ニューヨークは、私にエネルギーを与えてくれて、不安を取り除いてくれます。心配事がある時や弱った時はセントラルパークに行くと、エネルギーが充電されるようなんです。理由は分からないのですが、ニューヨークではどこでにいても、ものすごくエネルギーを感じます。特にセントラルパークがお気に入りで、いると元気になれる場所です。日本にいた頃は、若い女性として他のみんなと同じようにするのがいい様な雰囲気がありました。みんなと同じようにして、うまく解け込む。なので、二度目にニューヨーク行って仕事をしていた時に、会社の会議では何も発言しませんでした。上司が「順子、どう思う?何かコメントは?」と聞かれて、「うーん、特にありません。」と答えました。するとその上司が私に言ったのです。「何か言わなきゃ。もちろん、これに対する意見とか気持ちは何かしらあるでしょ?怖がらずに、みんなに言わなきゃ。」日本では上司がこういう事を言ったり、このように振る舞うことが無かったので、こういった事に慣れていませんでした。日本では賛成するか黙っているかでした。なので、ニューヨークに行ってからもっと自然に自分の意見や気持ちを伝えられるようになりました。

大学または専門学校で学びましたか?

高校生の時に体調を崩してしまったので、日本の大学は卒業していません。先生からいじめを受けて、摂食障害になりました。その後は、学校に戻る能力も自信もなくしてしまい、同級生と同じ年に高校を卒業することができませんでした。なので、当時は大学に進学するチャンスをなくし、働く事も出来ませんでした。ですが、自分の世界を変えたかったのです。アルバイトをして、ニューヨークかどこかへ行くお金を稼ぎました。場所はどこでも大丈夫だったのですが、ロンドンかニューヨークにはとても行きたかったのです。ちょうどニューヨークに行く機会があったので、そこに行くことにしました。ですが、やはり大学に行きたかったので、ニューヨーク大学(NYU)に入学しました。まだ卒業はしていないので、現在は大学生です。

幼少期にいじめに遭い、辛い思いをしなければいけなかったとお聞きして、お気の毒です。辛かったですよね。

その先生はわたしの弱みに付け込んでいたんです。私をいじめる理由なんて無かったんです。私の髪の毛は真っ黒ではなく、茶色なんですが、これが地毛なんです。そして、小さい頃はさらに明るい茶色でした。その先生が、「髪の毛染めたでしょ?」と言ってきましたが、私は「違います、染めてません。」と言いました。一度、母が学校に来て「うちの娘は髪を染めてなんかいません。」と伝えました。それにもかかわらず、その先生はわたしが髪を染めたと言い続けて、生徒の前でわたしの髪をすごく短く切りました!本当にショックでした。 その先生は理由も無いのに、いつも私のカバンをチェックしました。 私と仲の良い生徒に私と付き合わないようにとも言いました。このようなことが1年続いたので、学校に行きたくなくなり、何も食べる事も出来なくなりました。16,17歳の時でした。もし友達や先生からいじめを受けていたり、乱暴にされたりしている人がいたら、その人たちの気持ちがとてもよく分かりますし、力になりたいと思います。

これまで勉強してきたことや今までの経験とは違うキャリアに進みたいけれども、リスクを恐れている読者のみなさんに対して何かアドバイスはありますか?

私の場合、37歳でキャリアを変えました。36歳の時にワインを勉強しにフランスに行きましたが、その前はワインビジネスをすることになるなんて考えてもみませんでした。当時は、趣味としてワインを勉強しようと思ったのです。もちろん、「もっと若いうちにしておくべきだった」と当時は思いましたが、今おもえば「まだ若かったな!」と思います。確かに若かったですが、今でも十分若いですよ!
そういう風に考えるようにします(笑)。

順子さんは英語と日本語のバイリンガルですね。バイリンガルということで個人的なキャリアの面ではどのようなことがありました?また、英語を話すということはどのくらい重要でしょうか?

英語を話すということはとても重要だと思います。世界の第二言語ですから。世界中のどこに行っても、たとえその国の公用語が英語ではなくても、英語を使えばいつもコミュニケーションを取ることが出来ます。日本の学校はもっとネイティブの英語の先生を増やして、効率的に教えるべきだと思います。そうすれば、日本はもっと世界に通用すると思います。また、私は仕事で日本と海外の国々の架け橋になりたいです。プレミアムワイン業界に関して言えば、個人的には英語はとても重要だと思います。英語が話せれば、仕事で自分の可能性が広がりますし、もっとたくさんのチャンスも得ることが出来ます。そして、日本にいる様々な国の出身の方々とも交流するチャンスが広がります。ですが、わたしがいつも若い方々に言っていることがあります。それは、少しでもいいから、どこか海外で生活するべきだ、ということです。旅行などではなく、実際に少しの間そこで生活して、現地の生活を経験するのです。そうすることによって、人生についての考え方がいい意味で変わると信じています。広い心を持ち、開放的な考え方ができるようになるでしょう。

ワインで有名なトスカーナ州での順子さん
ワインで有名なトスカーナ州での順子さん


今までの人生で、大きな困難や壁に突き当たったことはありますか?

今まで生きてきて困難に直面したこともあります。本当にたくさん。もちろん、自分のやっていることを楽しんでいる時間は幸せです。しかし、それと同じくらいに、大変なこともあります。先ほどもお話したように、10代の頃はとても辛い思いをしました。幼少期にはとても太っていたので、いじめられもしました。子供の頃の写真を見るのが、以前は大嫌いでした。6歳か7歳まではとても太っていましたが、痩せるために、母がバレエのクラスに通わせてくれました。始めてみたら、楽しかったです。そして少し痩せました。中学校は楽しかったです。しかし、先ほどもお話したように、高校では先生とあのようなトラブルがありました。ニューヨークに渡った時は、とても貧しく、生活するのに十分なお金を得るために苦労しました。電話代すら払えませんでした。もちろん、当時はインターネットなどなかったので、母と連絡を取ることが出来ませんでした。その時に、祖母が亡くなりました。もちろん、母と連絡が取れなかったので、祖母の死を知りませんでした。それからは、「貧乏にはなりたくない」と自分自身に言い聞かせて、一生懸命働くようにしました。ですが、一番辛かったのは、母が亡くなった時です。約20年前ですので、私はまだ若かったです。結婚もうまくいかず、離婚しましたが、それも辛かったです。特に、母が亡くなった時と同じくらいだったので。

今までの転機は何ですか?

NYに行ったことはもちろんそこでナイキのシューズを輸出する事業を自分で立ち上げた時ですね。その事業はとても上手くいったので楽しかったです。ですが、その時にどうしようもないことにお金を使ってしまったんです!(笑)当時は若すぎたんですね。ファッションや休暇のために、お金を湯水のように使ってしまいました。後から考えたら、貯金をしておくべきでした。ですが、少なくとも当時のたくさんの思い出が今でもあります。たくさんの国々に行き、たくさんの楽しい経験をして、たくさんの振り返る思い出があります。もう一つの転機は、Christiesで働いたことです。ニューヨークでの生活という自分の夢を叶えていたので、自信に満ちあふれていました。イースト・アッパー・サイド(マンハッタン地区)に家があり、ミッドタウンのロックフェラー・センターに会社がありました。なので、毎日徒歩で通勤していました。セントラルパークを通って、パーク街を横切って、マディソン街を横切って・・・。セントラルパークはきれいでした。—緑があって、澄んだ空気で、ジョギングをしている人がいて。すごく良い雰囲気でした。そして、会社についたら、とても素敵なオフィスがありました。オークションハウスは常にオークションの出品作品を展示していましたので、素晴らしい美術品等を楽しんでいました。

名高いフランスのワイン職人であるクリスチャン・ムエックス氏と順子さん
ワインのビジネスに進むきっかけとなった「シャトー・ペトリュス」」のオ―ナ―、クリスチャン・ムエックス氏と


プライベートの生活はどうですか?リラックスするために何をしますか?

日本では、ヨガとジョギングをしにジムに行くのが好きです。映画やDVDを見るのも好きで、「アントラージュ」、「セックス・アンド・ザ・シティ」「アグリー・ベティ」などのアメリカのテレビドラマをよく見ます。「セックス・アンド・ザ・シティ」はドラマ内のエピソードと実際の生活と共通する事が多く今でも懐かしく見ています。「アグリー・ベティ」は視聴者にいいメッセージを与えていると思います。わたしもたくさん勇気をもらいました。

NYではアクティブに過ごします。 美術館やメット(オペラ、バレエ、クラッシック)へ行ったり、ヤンキースタジアムで野球見たりマディソンスクエァガーデンへロックのコンサート等に行ったり。パーティやチャリティーにも参加します。

日本には男女間の不平等があると感じますか?

一般的には、日本では男性と女性が平等に扱われているとは思いません。例えば、政府を見てみても、女性の政治家はほとんどいません。日本の大企業でも同じです。指導的立場に女性はたくさんいません。その点において日本は、アメリカなどに遅れを取っていると思います。

この問題にどのようにして日本人男性、女性は対処できると思いますか?

私が気付いたのは、日本にはあまりカウンセラーがいないということです。女性、男性、子供など、人々が本当はどう感じているのかを話す場所は多くありません。人というのは、時には自分の悩み事を誰かに話したくなるものです。実は、日本では、カウンセラーに相談に行くことは、恥ずかしい、世間体が悪いことだと考えられています。カウンセラーに相談に行っていると言ったら、精神的に問題を抱えているということが周りに知られてしまうから、恥ずかしいと思うかもしれません。もちろん、恥ずかしいことなどではありません。

誰もが人生において何かしら問題を抱えていて、それに対処するために外部の方の助けが少し必要かもしれないのです。それに、もし誰かがあなたを助けられるなら、それはとても良いことだと思うのです。助けてくれる人と話が出来たら、それらの問題を解決出来るかもしれません。問題があるのに放っておいて、もっと気分が落ち込んでしまう方がもっと良くないと思います。資金が十分にある企業は社員のためにカウンセラーを雇った方がいいと思います。

キャリアを今から始める、もしくはこれから初める若い女性に伝えたいアドバイスはありますか?

最近、ある若い女性の方とお話しをしました。その方は何かをしたかったのですが、その何かがはっきりしなかったのです。なので、私は彼女に話したんです。選択肢はたくさんあると。おそらく、彼女は、自分が何をしたいのか、もしくは何になりたいのか決められないと感じていると思います。しかし、自分がわくわくするようなことであれば、それが挑戦するべきことだと思うのです。やりたいと思うこと、わくわくすることの近くに自分の身を置いて下さい。

人生における有名な引用など、ご自身の座右の銘はありますか?

“I can accept failure, everyone fails at something. But I can’t accept not trying.”
– Michael Jordan
「挫折は耐えられる。誰もが失敗を味わうものだ。だが、挑戦しないでいることだけは耐えられない。」(マイケル・ジョーダン)

何か他に付け加えたいコメントや応援メッセージはありますか?

何事も諦めないで下さい。ある人がかつて言いました。「人を殺すのはとても簡単だ。銃はいらない。ナイフもいらない。希望を奪えばいいだけだ。」夢を持つこと、たとえそれがどんな夢でも。それが我々の人生において一番美しいことです。

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